昭和二年お茶の関係でシヤム(今のタイ国)に渡つた堀内省吾さんの斡旋で、同国王から釈迦尊像一躯(※身に區)が静岡市へ贈られた。その因縁に就いては、徳川時代慶長十七八年頃駿府の町人山田仁左エ門長政がシヤムへ渡り、国王を援けて非常な奮闘をなし、当時の国王の女婿になり後国王になった。シヤム対駿府の関係によるもので、その受入れ準備の一切を静岡新報社が引受け、同社長松浦五兵衛氏と同社に関係の深い新聞堂主江河勝太郎氏の口添えで、駅から金米山宝台院にお迎えするために大象の上に安置して行列する事になり、その模型大象の製作を鶴堂翁に依頼された。
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翁はこの大象を作るため劇場若竹座の道具部屋を借りて仕事場とした。心は木造で軽くするため桐材を多く使用し、それに針金で男竹を割つて取り付け紙と布で型作り、色彩を施行した。その出来栄えは実に見事なもので、眺めて実物と見違うばかりだつた。この釈迦像を数百人の稚児が曳いてお迎えし市内の総寺院から僧侶が参列、市内名士多数が参列して非常な賑わいだつた。その後釈迦堂を宝台院境内に新築する予定を変更して、静岡鉄道(現静岡電鉄)の経営する狐ヶ先遊園地に改めて釈迦堂を建立する事になり、東大助教授某氏の設計で数万円を投じて見事な三間四面の御堂が完成し、再び先の大象に御仏を載せて宝台院から東海道を経て遊園地釈迦堂に鎮座された。この釈迦尊像は頭辺に数十の宝石を頂き実に良い仏像だつたが、戦時中盗難に遭つて終わつた。後杉本宗一先生作茶祖聖一国師木像を祀り国師堂という。
(『森田鶴堂翁傳』白鳥金次郎)より |
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山田長政守り本尊
釋迦世尊の像
シヤム國日本人會から我社へ寄贈さる
我が静岡新報社は静岡が産んだ世界的偉人、海外開發の先覚者山田長政公の記念塔を建立して偉人の功業を永久に傳ふべく着々の工程を進めてゐるが、此の度暹羅國から嘗て山田長政が深く帰依して守本尊としてゐた由緒深い釋迦世尊の尊い佛像一體を寄贈されて来た、此の佛像は實に釋迦尊説法の印貌で少なくとも一千年前に鋳造した南洋系の得易からざる物であつて暹羅國皇室では國法を以て海外輸出を禁じ國寶と等しく保護してゐたが、暹羅在留日本人會では我山田長政記念塔建設の企てを聞くと同時に大いに賛成の意を表され、日本人會長は林公使を動かし、暹羅國皇室に請願し特に我社のこの企ての為に勅許を輿へられて、遙々寄贈されたものである。而して此の尊像は既に過日横濱入港の便船にて来着し當地に於ける奉迎準備整うまでの間、芝増上寺に安置方を依頼し同寺に安置してある
「静岡新報」昭和二年四月三日 |
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