謎の山田長政像――狐ヶ崎の山田長政公立像




静岡市清水区狐ヶ崎のジャスコを見下ろす坂を上りきった所に、「聖一国師堂」と呼ばれる堂宇がある。この御堂が戦前は「山田長政堂」だったことを知る人は少ない。
堂内にはタイより寄贈された黄金の釈迦像が安置され、長政が静岡浅間神社に奉納した「戦艦図絵馬」の写しが納められていた。仏像は戦時中に盗難にあって失われてしまったが、「戦艦図絵馬」は額装されて現在も掲げられていることを筆者は確認している。 「山田長政堂」の仏像とは別に、狐ヶ崎の丘の上には、山田長政の立像がたっていたという話がある。写真がまったく発見されていないので、それがどのような像であったのか見当が付かないが、像の存在を証する資料をここに集めてみた。
 
   

旅館パンフレットの記述

狐ヶ崎遊園

翠紅園に憩ふものは當園に必ず杖を運ぶべく、當園に遊ぶものは正に翠紅園を知らざるべからず、兩園相隣接して東海の清遊地をなす、静清兩市の中間に廣袤二萬五千餘坪を領して東海道の老松聳ゆる所三千餘坪の馬走地を抱き、西は山續きに草薙神社と接續し、南は日本平に通ず、東方遥かに富嶽の秀麗を望み、近く清見潟の絶勝を一望の中に収む、風光の美比儔するものなし。

園内には四季花卉の絶ゆる時なく、名花珍木の數奇を凝らし、廣闊なる大芝生を始め、野外劇場、珍奇なる動物舎、水禽舎、大温室、花壇、大瀧、乗馬、ボート遊び、水上自轉車、ベビーゴルフ、玉突、旋廻大飛行塔、大弓場、癇癪玉をはじめ婦人子供遊戯場等幾多の施設を有し、遠近より杖を曳くもの絡繹。殊に園内にはシヤム國國寶たりし佛像を奉安せる釋迦堂あり、身代り地蔵尊をも奉祀す。又山田長政公大立像は屹然として櫻ヶ丘頂上に東海を睥睨し海外發展の精神的指導をなす。(本園設計者 林學博士 田村剛氏)
 
   

安倍郡郷土讀本 尋常科用  昭和7年(1932)

朱塗りの釈迦堂を拝んで頂上に着くとも東の方に清水湾が一目に見えました。薩?峠の山並みの上に富士も大きく見えました。丘の広場には桜が沢山植えてあります。飛行塔もあり、又我が駿府の生んだ偉人山田長政の像も建てられてゐました。
 
   

しかし狐ヶ崎の山田長政像建立が成功しなかったという文章も残されているので参考に引用しておく。

『山田長政の史的考察』(村本山雨楼) 昭和38年(1963)

次いで大正十五年、静岡新報社が銅像建設計画を発表したが、これも成功しなかった。この時には暹羅渡来の仏像を安置し、長政像をも併せ建つという計画らしかったが、当時静岡新報社は経営が困難だったので、集まった寄附金は全部使い込んで仕舞った。そこで困り切った松浦五兵衛社長に頼まれた私(※村本山雨楼)が、静岡電鉄の熊沢一衛氏に頼んで狐ヶ崎遊園地内に三万円余を投じて堂宇を建立し、ここに暹羅渡来仏を安置したが、長政像までは手が廻らなかった。この渡来仏は金仏だったので大東亜戦争中誰かに盗まれてしまったので、現在はその堂宇が聖一国師堂になっている。
 
リスト作製 浅間通りあべの古書店