第25回 日タイ友好 長政まつり
日時: 2010年10月10日(日) 11:00−17:30
場所: 静岡浅間通り商店街 (静岡市葵区宮ヶ崎町・馬場町)
※600メートルの商店街全域が歩行者天国となります。
《交通手段》 開催場所「浅間通り」の地図はこちら
バス:JR静岡駅より「中町」(約10分・100円)下車
徒歩:JR静岡駅より約15分(1km)
《主催》
静岡浅間通り商店街振興組合 長政まつり実行委員会
《後援》
タイ王国大使館 タイ王国大阪総領事館 タイ国政府観光庁
静岡商工会議所・静岡浅間神社・NHK静岡放送局・産経新聞社・中日新聞社
静岡リビング新聞社・株式会社エスパルス(順不同)
《主な催事内容》
●戦艦図絵馬奉納行列
●コンチュート・コン(操り人間) (タイ王国政府観光庁提供イベント)
●アメージング タイランドダンス
●ムエタイショー
出演:はまっこムエタイ・ジム
●トゥクトゥク展示
●開会及び閉会セレモニー
●秋のわくわく祭り協賛福袋販売
●長政まつりタイ旅行抽選会
●駿府歴史スタンプラリー
●タイ料理屋台、タイマッサージ・ブース、タイ雑貨店の出店
■大関正義(山田長政)みたび!!
『YAMADA THE SAMURAI OF AYOTHAYA(ヤマダ アユタヤの侍)』が完成し、この冬タイで上映します
この映画で若き日の山田長政を演じている大関正義さんが、昨年に続き長政まつりに参加します。
中央ステージでの大関正義スペシャルトークショーでは、ここでしか聞けない『ヤマダ アユタヤの侍』の撮影秘話が披露されそうです。
映画予告編も上映しますのでどうぞご期待ください。
大関正義さんは1973年生まれ。20歳の頃からファッション誌のモデルをしていました(身長185センチ!)。2003年、単身にタイに渡り、ミュージカル『メナムの残照』で日本人軍人役をつとめたのを皮切りに、アクション・コメディ・特撮ヒーローなどで活躍し、タイではたいへん人気の高い俳優です。
SEiGI's life in Thailand 大関正義さんブログ
大関正義さん紹介記事
■コンチュート・コン(操り人間)
TATの御協力で、操り人間がタイからやってきます。
コんチュート・コンは、タイ語で「操り人間」という意味です。
この操り人間は、タイ南部の伝統舞踊「ノーラ」に特徴的な人形劇が混同した、タイの芸術的な現代劇です。
タイ舞踊を保ちながら新感覚のスタイルに挑んでいます。
伝統的音楽と現代の音楽との滑らかなハーモニーをご覧下さい。
■アメージング タイランドダンス
タイの4つの地域の舞踊が一つに、レベルと質の高い伝統的な演劇「コーン」を組み合わせることによって実現した現代舞踊です。
太鼓のテンポに合わせて、滑らかに表現されるその動きは、大変美しく、タイ文化を象徴しています。
■はまっこムエタイジム
横浜の名門「はまっこムエタイジム」さんがタイの国技ムエタイのデモンストレーションを行ないます。
内容は「メーマイムエタイ(古式ムエタイ)」「ミット打ち(プロが見本を見せ、お客様に参加していただきます」「エキシジジョンマッチ」と盛り沢山。
たっぷりお楽しみください。
はまっこムエタイジム
はまっこムエタイジム日誌
■奉納太鼓(東豊太鼓クラブ)
夏に行なわれた浅間遊舞にも出演された東豊太鼓クラブのみなさんが、地元地域に昔から伝わる奉納太鼓を継承したオリジナル創作曲を披露してくれます。
東豊太鼓クラブは、静岡市駿河区の東豊田地区に在住の小学生で結成しているジュニア太鼓チームです。
こどもたちの力強い太鼓をお楽しみください。
■着ぐるみ象さん
ルークトゥン(タイの歌謡曲)にあわせて踊る着ぐるみ象さんのダンスが長政まつり初出演。
http://sketchman.blog54.fc2.com/blog-date-201010-1.html
■タイ情報誌「ワイワイタイランド」が出店
ワイワイタイランドのホームページもご覧ください。
http://www.thaifestivals.net/yamadanagamasa.html
《目次》
プログラム
出店者
長政まつりとは
山田長政と浅間通り
リンク集
◎プログラム
13:30 中町赤鳥居下出発
14:00 静岡浅間神社到着
14:00 奉告祭 大歳御祖神社拝殿
11:00 木遣り
11:10 開会式
12:15 タイダンス、コンチュート・コン
13:00 奉納太鼓
14:15 木遣り
14:45 大関正義スペシャルトークショー
16:45 長政まつりタイ旅行争奪ビンゴ大会
17:15 閉会式
11:15 奉納太鼓
11:30 タイダンス、コンチュート・コン
12:05 はまっこムエタイ・ジム
14:00 奉納太鼓
14:30 タイダンス、コンチュート・コン
15:15 着ぐるみ象さん
15:45 はまっこムエタイ・ジム
12:15 着ぐるみ象さん
15:00 トゥクトゥククイズ
12:00 秋のわくわく祭り協賛福袋販売
14:00 長政まつり大抽選会
浅間通りは、静岡浅間神社側から中町に向かって、1番街→5番街の5つのブロックに分かれています。各番街の押印所に置かれた駿府ゆかりの人物等のスタンプ5つを全部集めると、先着1000名に「長政まつり」の日にだけ焼かれる長政煎餅をプレゼント!
参加方法など詳細は、当日本部等で配布するプログラムをご覧ください。
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◎出店者
タイ料理
○アローイ・アロイ(静岡)
○ナムタイ(静岡)
http://namthai-restaurant.jimdo.com/
○ルン・ルアン(東京)
○サームピーノーン(所沢)
http://www.saam-phii-noon.com/
○ラッタナ(浜松)
○CHANG KOON(豊橋)
○リナ(大和)
○サバーイ・ディール(静岡)http://www.ac.auone-net.jp/~sabaai/
○ラッタナー(浜松)http://www7a.biglobe.ne.jp/~nipparat/
○ケン(横浜)
○カメイ株式会社
タイマッサージ
○アジアンヒーリング和癒 〜Wai〜(静岡)
http://www.asian-healing-wai.com/
○スパ・サラデーン(静岡) http://www.jade.dti.ne.jp/saladaeng/
タイ雑貨
○ナナトゥレ(東京)
http://www.rakuten.ne.jp/gold/na-na/
○SOMEDAY(静岡)
http://pechiloso.cart.fc2.com/
○日泰ベタ倶楽部ジャパンジャパン・焼津熱帯魚静岡県本部(焼津)
(このほか、地元静岡の特産品・農産物の販売出店があります。)
その他
○PLANTOYS(静岡) http://www.plantoys.com/
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◎日タイ友好 長政まつり とは
いまから二十年ほど前の1986年、静岡の若者有志によるささやかな「まつり」が浅間通りで行われました。徳川家康が駿府城に在城していた頃にタイへ渡り、波乱の生涯を送った山田仁左衛門長政がこの浅間通りの出身であることにちなみ、イベントは「長政まつり」と命名されました。これが「第1回 長政まつり」です。
その後、浅間通り商店街に引き継がれた「長政まつり」は、山田長政を記念顕彰するのみならず、日本とタイの交流の架け橋となった長政にならい、日タイの親睦を推進する「日・タイ友好」事業として、タイフードやタイ舞踊など、タイ文化の魅力を紹介してきました。
2000年には商店街の新アーケードの完成と共に、念願であった山田長政公像の建立が実現しました。これを契機に山田長政を学問的に研究する会が地元に発足し、長政まつりは一過性のイベントから、地域独自の歴史文化や伝統を再発見する「学びの場」ともなりました。
2004年からは在京タイ王国大使館・大阪タイ王国総領事館の大々的な支援を受けて、「日・タイ友好 長政まつり」は地方都市の一商店街としては類例のない国際的なイベントへとますます発展しているところです。
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◎山田長政と浅間通り
【その出生とタイへの渡航】
山田仁左衛門長政は、天正十八年(1590)頃、駿府の馬場町(いまの浅間通り)に生まれた。父は紺屋津国屋の二代目九左衛門、母は藁科富厚里の出身であったと伝えられている。
慶長十七年(1612)頃、長政は駿府の商人滝佐右衛門・太田治右衛門が船主の貿易船に便乗してシャム(=タイ)に渡った。
長政が渡航した頃のシャムは、アユタヤに国都を置くアユタヤ王朝の時代だった。アユタヤは東南アジア交易網の重要な拠点として物産を集積・供給するだけではなく、アジアとヨーロッパを結ぶ海路貿易の中継地だった。長政はここで日本人町の頭領をつとめた。また、ソングタム王の信認をうけて王室付きの日本人護衛兵の長となって活躍し、数々の武勲をうちたてた。
【タイでの活躍】
山田長政は戦前の日本においては武勇伝ばかりが強調されていたが、長政の本領は武人の功績よりも、国際的な貿易商としての手腕にある。東西各国の仲買人たちが入り乱れてしのぎをけずる国際都市アユタヤで、長政は熾烈な経済戦争に勝ち続ける。日タイの貿易はもちろん、マラッカ(マレーシア)やバタビア(インドネシア)などにも商船を送り盛んに交易を行った。
長政はアユタヤを拠点とする貿易を一手に引き受け、その勢いは、世界最大の海運交易企業の東インド会社を相手に一歩も譲らず、同社のアユタヤ支社を閉鎖させてしまうほどだった。
寛永三年(1626)、長政は「オークプラ」という正規の官位をアユタヤ王室から与えられた。寛永五年(1628)には、ついに最上位の官位であるオークヤー・セーナピモックにまで昇進し、以後長政はタイの歴史ではこの官位名で記憶されている。
長政は祈願成就を記念して、故郷駿府の浅間神社に『戦艦図絵馬』を奉納した。絵馬の原図は天明八年(1788)の火災で消失したが、駿府勤番榊原長俊が模写した図が残されている。
【六昆王に、そして悲運の最期】
寛永六年(1929)、タイの使節団が三代将軍徳川家光に謁見し、日本とタイの国交が樹立する。その仲介役をつとめたのが山田長政だった。長政の尽力で日タイ両国の交流はますます盛んになるが、この頃から長政の人生は不穏な方向へと大きく転回する。この年ソングタム王の崩御によって王室内に王位継承をめぐる抗争が起き、長政も否応なしにまきこまれるのである。
様々な政治的かけひきが王室内で続く中、長政は、当時内乱状態にあったリゴール(六昆、現在のタイ南部、ナコン・シータマラート)の平定を命じられる。日本人義勇軍二千人を率いた長政は見事に争乱を鎮め、六昆王(リゴール国王)に任ぜられた。小国といえども長政は一国の「王」となったのである。
しかしそれも束の間、長政は戦闘で足に受けた傷が悪化して、波瀾万丈の生涯を閉じた。何者かが傷に毒を塗ったのだとも言われている。寛永七年(1630)、長政は四十歳だった。
故国日本にもアユタヤにも戻ることなく、山田長政は異国の土となった。270年後、ナコンには長政を追悼する記念碑がたち、「ナガマサ・ストリート」と呼ばれる通りがいまもある。
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◎リンク
タイ関連リンク集。
出店者。
その他。
在京タイ王国大使館
タイ王国大阪総領事館
タイ国政府観光庁
ワイワイタイランド
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在日本タイ王国大使館の日タイ修交120周年記念ホームページ
●
外務省の日タイ修交120周年記念ホームページ
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©浅間通り商店街振興組合+長政まつり実行委員会 2010
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