第34回 日タイ友好 長政まつり
日時: 2019年10月6日(日) 11:00−17:00 (雨天決行)
場所: 静岡浅間通り商店街 (静岡市葵区宮ヶ崎町・馬場町)
※600メートルの商店街全域が歩行者天国となります。(10:00〜17:30)
《交通手段》 開催場所「浅間通り」の地図はこちら
バス:JR静岡駅より「中町」(約10分・100円)下車
徒歩:JR静岡駅より約15分(1km)
《主催》
静岡浅間通り商店街振興組合 長政まつり実行委員会
《後援》
タイ王国大使館 タイ国政府観光庁
《協賛》
いなば食品株式会社
《主な催事内容》
●戦艦図絵馬奉納行列
●タイ舞踊(タイ国政府観光庁提供イベント)
●ムエタイ
●木遣り
●こども広場
●大道芸広場
●静大よさこいサークル「お茶の子祭々」
●麻機太鼓
●ナチュラルハイライブ
●開会及び閉会セレモニー
●長政まつりペアタイ旅行が当たる大抽選会
●タイ料理屋台、タイマッサージ、タイ雑貨店の出店
●平成安倍の市
■タイ舞踊
タイ国政府観光庁様の御協力で、昨年も素敵な踊りを披露してくださったタイ舞踊団が東京からやってきます。
今年のステージ公演は2回です。お見逃しなく!
♪ラバムシーウィチャイ
シーウィチャイ時代のボロブドゥール遺跡内の美術品のイメージを基に現代になって作られた踊りで、形や音楽はジャワ風になっています。
♪フォンティー
女性の美しさをタイ北部の傘を駆使して表現した踊りです。現王妃様ご生誕60周年式典で初めて披露された話題の創作舞踊です。
♪ラムメーシー
最も有名な伝統舞踊の一つです。タイの女性の優美さを表した、お祝いの時に踊られる踊り。踊りながら撒かれる花びらを受け取った者は幸せになれるとされています。
♪ラバム・ドークブア
「ラバム」とは舞のこと、「ドークブア」は蓮の花という意味です。タイ国芸術文化局主催の演劇「ロッタセーン」の一場面で演奏するためにアレンジされた曲で踊ります。
♪ レーヌーブータイ
タイの東北地方、サコーンナコーン県やその近くのプータイ族がお祝やお祭で好んで踊った踊りです。
■浅間通り商店街『長政まつり限定サービス』
おまつり当日だけの限定サービス。お見逃しなく!
■大道芸広場
神出鬼没の大道芸人たちが浅間通りに集合!
☆ブーリィ・ウーリィ・カンパニィ(コメディジャグリング)
☆あまる(大道芸バラエティ)
☆ひっきぃ(バルーン&パントマイム)
商店街のどこかに登場します!
戦艦図絵馬奉納行列にもハプニング!?■こども広場
静岡大学の学生によるこども広場が5番街に登場!
日本のあそびとタイのあそびで一日楽しもう!
☆長縄で遊ぼう
☆地面におえかき
☆やわらかドッヂボール
☆タイの遊び
☆ポラロイドカメラで撮影
☆スーパーボールすくい
※一部有料のあそびがあります
長政まつりパンフレットはこちら(画像をクリックしてください)
《目次》
プログラム 出店者 長政まつりとは 山田長政と浅間通り リンク集
◎プログラム
山田長政戦艦図絵馬奉納行列 14:00 中町赤鳥居下出発
14:50 静岡浅間神社到着
15:00 奉告祭 大歳御祖神社拝殿(関係者のみ)
4番街・中央ステージ 10:50 木遣り、開会式
11:30 麻機太鼓
12:00 タイ舞踊
12:30 大道芸
13:00 よさこい
13:30 ナチュナル・ハイ
14:45 ナチュラル・ハイ
15:30 タイ舞踊
16:00 長政まつりタイ旅行争奪じゃんけん大会
16:45 閉会式、餅まき
1番街 11:00 ムエタイ披露
14:00 よさこい
2番街 13:00 よさこい
15:20 よさこい
3番街 11:30〜15:00 長政まつり大抽選会
※抽選会に参加するには※
9月26日〜 浅間通り商店街加盟店にて500円以上お買い物をすると、抽選券を差し上げます。
抽選券を持って、おまつり当日11時30分に抽選会にお越しください。
抽選会場は、3番街 組合事務所前です。
抽選券1枚で1回抽選ができます。(お一人様連続3回まで)
チャレンジ賞が当ると、16時からのじゃんけん大会に参加できます。じゃんけん大会で優勝すると、特賞のタイペア旅行獲得です!!
今年は他に、せんげん商品券1万円 やタイフード、浅間通り商店街加盟店よりお食事券や素敵な賞品が当たります。
賞品総数1200点、なくなり次第終了です。お早目にお越しください。
☆浅間通りブース・・・シンハービール、マムアンジュース、ココナッツチップス等の販売。
当日、ここでのお買い物で抽選券がもらえます。(枚数限定)
☆タイ旅行に行きたい方は!・・・長政抽選券を3店舗以上で5枚集めると、先着30名様まで、じゃんけん大会の参加権と交換することができます。
交換は11:30〜長政まつり大抽選会場にて行います。
4番街 11:00〜 大道芸
13:00 よさこい
15:00〜 大道芸
5番街 11:00〜 こども広場
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15:00〜 こども広場
◎出店者
タイ料理
〇アローイ・アロイ(静岡)
○ASIA SIAM FOOD(神奈川)
○ルン・ルアン(東京)
○サラパタヤ(神奈川)
○オーイサップ(静岡)
○ラムテテー(静岡)
〇タイ焼鳥 アロイ
〇ガイヤーン
〇パンラオ
タイマッサージ
〇タンタラー(静岡)
タイ雑貨・食材・その他
○PLANTOYS(静岡) http://www.plantoys.com/
安倍の市
〇久保井
〇大高茶園
〇安倍の鮎
〇smile企画
〇手作りのたんぽぽ
〇豊川商店
〇雑貨問屋
〇まこと屋
〇甘味処おっちー
〇アルレスカ
〇小規模多機能ホーム西草深
〇プランナーエス
〇エースベーキングモチズキ
〇hug coffee(ハグコーヒー)
〇ポン・ドルチェ・ファーマーズ
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◎日タイ友好 長政まつり とは
いまから二十年ほど前の1986年、静岡の若者有志によるささやかな「まつり」が浅間通りで行われました。徳川家康が駿府城に在城していた頃にタイへ渡り、波乱の生涯を送った山田仁左衛門長政がこの浅間通りの出身であることにちなみ、イベントは「長政まつり」と命名されました。これが「第1回 長政まつり」です。
その後、浅間通り商店街に引き継がれた「長政まつり」は、山田長政を記念顕彰するのみならず、日本とタイの交流の架け橋となった長政にならい、日タイの親睦を推進する「日・タイ友好」事業として、タイフードやタイ舞踊など、タイ文化の魅力を紹介してきました。
2000年には商店街の新アーケードの完成と共に、念願であった山田長政公像の建立が実現しました。これを契機に山田長政を学問的に研究する会が地元に発足し、長政まつりは一過性のイベントから、地域独自の歴史文化や伝統を再発見する「学びの場」ともなりました。
2004年からは在京タイ王国大使館・タイ国政府観光庁の大々的な支援を受けて、「日・タイ友好 長政まつり」は地方都市の一商店街としては類例のない国際的なイベントへとますます発展しているところです。
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◎山田長政と浅間通り
【その出生とタイへの渡航】
山田仁左衛門長政は、天正十八年(1590)頃、駿府の馬場町(いまの浅間通り)に生まれた。父は紺屋津国屋の二代目九左衛門、母は藁科富厚里の出身であったと伝えられている。
慶長十七年(1612)頃、長政は駿府の商人滝佐右衛門・太田治右衛門が船主の貿易船に便乗してシャム(=タイ)に渡った。
長政が渡航した頃のシャムは、アユタヤに国都を置くアユタヤ王朝の時代だった。アユタヤは東南アジア交易網の重要な拠点として物産を集積・供給するだけではなく、アジアとヨーロッパを結ぶ海路貿易の中継地だった。長政はここで日本人町の頭領をつとめた。また、ソングタム王の信認をうけて王室付きの日本人護衛兵の長となって活躍し、数々の武勲をうちたてた。【タイでの活躍】
山田長政は戦前の日本においては武勇伝ばかりが強調されていたが、長政の本領は武人の功績よりも、国際的な貿易商としての手腕にある。東西各国の仲買人たちが入り乱れてしのぎをけずる国際都市アユタヤで、長政は熾烈な経済戦争に勝ち続ける。日タイの貿易はもちろん、マラッカ(マレーシア)やバタビア(インドネシア)などにも商船を送り盛んに交易を行った。
長政はアユタヤを拠点とする貿易を一手に引き受け、その勢いは、世界最大の海運交易企業の東インド会社を相手に一歩も譲らず、同社のアユタヤ支社を閉鎖させてしまうほどだった。
寛永三年(1626)、長政は「オークプラ」という正規の官位をアユタヤ王室から与えられた。寛永五年(1628)には、ついに最上位の官位であるオークヤー・セーナピモックにまで昇進し、以後長政はタイの歴史ではこの官位名で記憶されている。
長政は祈願成就を記念して、故郷駿府の浅間神社に『戦艦図絵馬』を奉納した。絵馬の原図は天明八年(1788)の火災で消失したが、駿府勤番榊原長俊が模写した図が残されている。【六昆王に、そして悲運の最期】
寛永六年(1929)、タイの使節団が三代将軍徳川家光に謁見し、日本とタイの国交が樹立する。その仲介役をつとめたのが山田長政だった。長政の尽力で日タイ両国の交流はますます盛んになるが、この頃から長政の人生は不穏な方向へと大きく転回する。この年ソングタム王の崩御によって王室内に王位継承をめぐる抗争が起き、長政も否応なしにまきこまれるのである。
様々な政治的かけひきが王室内で続く中、長政は、当時内乱状態にあったリゴール(六昆、現在のタイ南部、ナコン・シータマラート)の平定を命じられる。日本人義勇軍二千人を率いた長政は見事に争乱を鎮め、六昆王(リゴール国王)に任ぜられた。小国といえども長政は一国の「王」となったのである。
しかしそれも束の間、長政は戦闘で足に受けた傷が悪化して、波瀾万丈の生涯を閉じた。何者かが傷に毒を塗ったのだとも言われている。寛永七年(1630)、長政は四十歳だった。
故国日本にもアユタヤにも戻ることなく、山田長政は異国の土となった。270年後、ナコンには長政を追悼する記念碑がたち、「ナガマサ・ストリート」と呼ばれる通りがいまもある。
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◎リンク
後援
在京タイ王国大使館
タイ国政府観光庁
協賛
いなば食品株式会社
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©浅間通り商店街振興組合+長政まつり実行委員会 2019