第35回 日・タイ友好 長政まつり
日時: 2022年10月1日(日) 9:00−15:00 (雨天決行)
場所: 静岡浅間通り商店街 (静岡市葵区宮ヶ崎町・馬場町)
※600メートルの商店街全域が歩行者天国となります。(10:00〜17:30)
《交通手段》 開催場所「浅間通り」の地図はこちら
バス:JR静岡駅より「中町」(約10分・100円)下車
徒歩:JR静岡駅より約15分(1km)
《主催》
静岡浅間通り商店街振興組合 長政まつり実行委員会
《後援》
タイ王国大使館 タイ国政府観光庁
《協賛》
いなば食品株式会社
《主な催事内容》
●長政まつりPhotoSpot
●木遣り
●こども広場
●大道芸
●静大よさこいサークル「お茶の子祭々」
●長政まつり せんげん商品券1万円が当たる大抽選会
●タイ料理屋台、タイマッサージ、タイ雑貨店の出店
●平成安倍の市
■浅間通り商店街『おついたちまいり限定サービス』
10月1日だけの限定サービス。お見逃しなく!
■大道芸
神出鬼没の大道芸人が浅間通りに集合!
☆あまる(大道芸バラエティ)
商店街のどこかに登場します!
■こども広場
静岡大学の学生によるこども広場が5番街に登場!
日本のあそびとタイのあそびで一日楽しもう!
☆地面におえかき
☆タイの遊び
長政まつりパンフレットはこちら
《目次》
プログラム 長政まつりとは 山田長政と浅間通り リンク集
◎プログラム
1番街 9:00〜15:00 平成安倍の市(浅間神社境内にも多数出店)
2番街 13:30 よさこい
14:00 木遣り
3番街 10:00〜15:00 長政まつり大抽選会
※抽選会に参加するには※
10月1日に浅間通り商店街加盟店・平成安倍の市・まつり出店屋台にてお買い物をすると、各店1つスタンプを押してもらえます。
スタンプが2つ集まったら、抽選に参加できます。スタンプが押された参加券を持って、抽選会場にお越しください。
抽選会場は、3番街 組合事務所前です。
参加券1枚で1回抽選ができます。(お一人様連続3回まで)
特賞は、せんげん商品券1万円です! 他にもタイカレー、タイ雑貨、浅間通り商店街加盟店の素敵な賞品が当たります。
賞品総数1000点、なくなり次第終了です。お早目にお越しください。
☆浅間通りブース・・・シンハービール、マンゴージュース、ココナッツチップス等の販売。
当日、ここでのお買い物でもスタンプをもらえます。
4番街 9:00 木遣り
9:00〜15:00 戦艦図絵馬・象展示
10:00 よさこい
11:00 木遣り
5番街 10:00〜12:00 こども広場
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13:00〜15:00 こども広場
10:00〜15:00 大道芸(商店街のどこに登場するのかお楽しみ!)
◎日タイ友好 長政まつり とは
いまから二十年ほど前の1986年、静岡の若者有志によるささやかな「まつり」が浅間通りで行われました。徳川家康が駿府城に在城していた頃にタイへ渡り、波乱の生涯を送った山田仁左衛門長政がこの浅間通りの出身であることにちなみ、イベントは「長政まつり」と命名されました。これが「第1回 長政まつり」です。
その後、浅間通り商店街に引き継がれた「長政まつり」は、山田長政を記念顕彰するのみならず、日本とタイの交流の架け橋となった長政にならい、日タイの親睦を推進する「日・タイ友好」事業として、タイフードやタイ舞踊など、タイ文化の魅力を紹介してきました。
2000年には商店街の新アーケードの完成と共に、念願であった山田長政公像の建立が実現しました。これを契機に山田長政を学問的に研究する会が地元に発足し、長政まつりは一過性のイベントから、地域独自の歴史文化や伝統を再発見する「学びの場」ともなりました。
2004年からは在京タイ王国大使館・タイ国政府観光庁の大々的な支援を受けて、「日・タイ友好 長政まつり」は地方都市の一商店街としては類例のない国際的なイベントへとますます発展しているところです。
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◎山田長政と浅間通り
【その出生とタイへの渡航】
山田仁左衛門長政は、天正十八年(1590)頃、駿府の馬場町(いまの浅間通り)に生まれた。父は紺屋津国屋の二代目九左衛門、母は藁科富厚里の出身であったと伝えられている。
慶長十七年(1612)頃、長政は駿府の商人滝佐右衛門・太田治右衛門が船主の貿易船に便乗してシャム(=タイ)に渡った。
長政が渡航した頃のシャムは、アユタヤに国都を置くアユタヤ王朝の時代だった。アユタヤは東南アジア交易網の重要な拠点として物産を集積・供給するだけではなく、アジアとヨーロッパを結ぶ海路貿易の中継地だった。長政はここで日本人町の頭領をつとめた。また、ソングタム王の信認をうけて王室付きの日本人護衛兵の長となって活躍し、数々の武勲をうちたてた。【タイでの活躍】
山田長政は戦前の日本においては武勇伝ばかりが強調されていたが、長政の本領は武人の功績よりも、国際的な貿易商としての手腕にある。東西各国の仲買人たちが入り乱れてしのぎをけずる国際都市アユタヤで、長政は熾烈な経済戦争に勝ち続ける。日タイの貿易はもちろん、マラッカ(マレーシア)やバタビア(インドネシア)などにも商船を送り盛んに交易を行った。
長政はアユタヤを拠点とする貿易を一手に引き受け、その勢いは、世界最大の海運交易企業の東インド会社を相手に一歩も譲らず、同社のアユタヤ支社を閉鎖させてしまうほどだった。
寛永三年(1626)、長政は「オークプラ」という正規の官位をアユタヤ王室から与えられた。寛永五年(1628)には、ついに最上位の官位であるオークヤー・セーナピモックにまで昇進し、以後長政はタイの歴史ではこの官位名で記憶されている。
長政は祈願成就を記念して、故郷駿府の浅間神社に『戦艦図絵馬』を奉納した。絵馬の原図は天明八年(1788)の火災で消失したが、駿府勤番榊原長俊が模写した図が残されている。【六昆王に、そして悲運の最期】
寛永六年(1929)、タイの使節団が三代将軍徳川家光に謁見し、日本とタイの国交が樹立する。その仲介役をつとめたのが山田長政だった。長政の尽力で日タイ両国の交流はますます盛んになるが、この頃から長政の人生は不穏な方向へと大きく転回する。この年ソングタム王の崩御によって王室内に王位継承をめぐる抗争が起き、長政も否応なしにまきこまれるのである。
様々な政治的かけひきが王室内で続く中、長政は、当時内乱状態にあったリゴール(六昆、現在のタイ南部、ナコン・シータマラート)の平定を命じられる。日本人義勇軍二千人を率いた長政は見事に争乱を鎮め、六昆王(リゴール国王)に任ぜられた。小国といえども長政は一国の「王」となったのである。
しかしそれも束の間、長政は戦闘で足に受けた傷が悪化して、波瀾万丈の生涯を閉じた。何者かが傷に毒を塗ったのだとも言われている。寛永七年(1630)、長政は四十歳だった。
故国日本にもアユタヤにも戻ることなく、山田長政は異国の土となった。270年後、ナコンには長政を追悼する記念碑がたち、「ナガマサ・ストリート」と呼ばれる通りがいまもある。
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◎リンク
後援
在京タイ王国大使館
タイ国政府観光庁
協賛
いなば食品株式会社
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